登山家 栗城史多さん!山で死んではダメです
2019年8月13日更新
エベレストを目指していた有名な「登山家」、栗城史多(くりきのぶかず)さんが亡くなりました
35才の早すぎる死を心より悼みます(いたみます)m(__)m
栗城さんは2007年ごろから「ニート登山家」としてメディアに登場
そのころに登山に動画を取り入れて、メディアでは人気の登山家になりました
これまでは、山に登っている写真はありましたが、「動画」は少なく、人気番組で紹介されたということから動画を使った登山の手法がネット上を中心に人気が出て来て、大きなスポンサーも付いて、2007年から2010年ころから、エベレストを目標に8,000m級の山を登り始めていました
▼栗城君の出発前の祈り
(YouTube タップで再生されます)
ニートの登山家 栗城史多
このころは、テレビ番組の「電波少年」で「ニートの登山家」と言われていましたが、登山家はニートみたいな人が多いです
「ニート」の意味は、「就学、就労、職業訓練をやっていない人」のことですが、日本では「若年無業者」といって、中学卒業の15才くらいから30才くらいまでの、仕事をしていない人を指すことが一般的
登山家というのは、山に登る資金を貯めるため、日雇い労働や、期間工などをしている人もいて、個人的に好きな
さんや さんも有名ですが、安定した仕事をしているとはいい難い状況でした宮城さんは、就職していましたが、ある一件の後に無職になり、食い継ぎながら山に登っています
有名な「服部文祥」さんも、現在はモンベルに勤めていますが、以前は1年更新の契約社員でした(今も?)ので、安定しているとは言い難いですね
個人的なイメージですが、登山家はニートみたいな仕事の仕方が普通
とても好きな「登山家 山田公史郎さん」も、登るために、膨大な資金を10年かけてためて、偉業(いぎょう)を達成させました
自分が、気絶するくらいに好きな伝説のクライマー「フレッドベッキー」氏も80才までクライミングをしていましたが、ほぼ無職です
先鋭的な登山をする人から見ると、ニートはデメリットではなく、ある意味「称号」のようなイメージがあるのかもしれません
登山界での栗城さんの立ち位置
ときどき、栗城さんの登山レベルが「高いのか」「低いのか」、ネット上で言われることがあります
登山ライターの森山さんのブログ「森山編集所」でも言っているとおり、自分たちのような素人(しろうと)から見れば、栗城さんは経験豊富で体力もありますが、残念ながらすごくレベルが高いというわけではなく、少なくとも先ほど話に出た「宮城」さんや「服部」さんよりはレベルが低いと思います
以前服部さんが、
「栗城くんは登山家とすれば”3.5流”」
といっていました
▼服部さん「栗城くんは登山家として3.5流」
(YouTube タップで再生されます)
ちょっと辛口すぎる意見だと思いますが、服部さんが言った事を否定する登山家はいないと思います(ここで、服部文祥さんは、野口健さんをも「市民ランナー」だと言っています 個人的には野口さんは、総合的にもう少し上だと思っていますが・・・)
自分は「服部さん」や「宮城さん」などが好きで、活動を見ています
そしてそれと栗城さんの活動を比較すると、自分も同意見だと言わざるを得ないです
そんな中、自分は服部さんも、栗城さんも、好きなので、なんとなくこの論争(のようなもの)は父親と母親がケンカしているような気分になって、毎回気まずい感じになっています
ボクが服部文祥さんのことを書いたブログがこちらです⇒「服部文祥氏 入門」
栗城史多さんを始めて知ったとき
自分が初めて栗城さんを知ったのはツイッター
2010年ころで、自分はまだそれほど本気に山に登っていませんでしたが、このツイッターを見たのが契機(けいき)の一つになって、登山をやるようになったと思います
このころは、アンナプルナ登山を進めていたときで、人気も急上昇のころで、あまり登山がわからない自分にとって、「栗城=(イコール)アンナプルナ」というイメージが自分にできてしまうくらい、メディアは沸いて(わいて)いました
確かに動画の栗城さんを見ると、その苦しさや楽しさが手に取る様に分かって、高所登山がとても身近に感じられ、とても感動したことを覚えています
その登山とインターネットの融合の功績で賞をとっていますが、これはうなずける功績
これで「登山の人気が急上昇」していったと思われます
自分も身近に感じられる登山家として、応援しつつも、なんとなく羨ましく(うらやましく)も感じていたのを覚えています
登山界の多くはアンチテーゼの立場
服部さんだけでなく、メディアに出ている多くの人(自分が知っている限りですが)は、あまり栗城さんの登山を良いとは思っていないようです
特に分かりやすいサイトは、森山さんのブログ「森山編集所」というサイト
エベレストは、一般の人が挑戦できるルートと、超一流でないと挑戦できないルートがあります
これを、野球に例えて、
- 栗城さんは大学野球の平均選手
- 服部さんは日本のプロ野球
- 佐藤裕介さんは大リーグ
※佐藤裕介さんは世界の登山界最高賞ピオレドール賞をとったスーパースター
と例えています
そして、栗城さんは、この「大リーグで4番バッターになること」を目的にしていると言うのです
大学野球の選手の「栗城さん」が大リーグを目指すのは問題ないです
むしろガンバレ!!と応援したいところ
問題なのは、2つです
1つ目は、どう見ても死ぬほど頑張らないと達成できないのに、ほかのことにも手を出してしまっているように見られる事、そして、2つ目はこの登山で人が死んでいる事、です
山で人が死ぬのは自己責任と言われています
でも、それはその登山を全力で準備した結果なら・・・と思いますが、そうではないようです
栗城さんの全てを知っている訳ではありませんし、今回のように命をかけて挑んだ栗城さんをどうこう言うつもりはないです
栗城くんは、もしかしたら「登山界」を真正面からみてしまったのかもしれないです
ただ「残念」・・・本当に「残念」・・・・
もっとほかのやり方が無かったのか・・・・・・・・・・
「山で死んではダメ」です
ダメなんです
バカヤロウ・・・・・・
自分は個人的に栗城さんを・・栗城くんを個人的に知っている訳ではないです
そして、最近何となく栗城くんのショーアップの要素が強くなってきているのもわかりますし、本気で到達できると考えているわけでもないとも思っていました
芸人「ナスビくん」をエベレストに立たせた「山岳ガイド 近藤謙司さん」も、
「勉強していないのに、お金だけもらって東大を受験しているようなものだ・・」
と手厳しい意見を言っています
勉強しないのにお金もらって東大を受け続けているようなもんだ… https://t.co/sgUeeSRMMW
— 近藤謙司 (Kenji KONDO) (@kenken8848) June 2, 2017
(https://twitter.com/kenken8848/status/870436009602727936)
それだけ無謀だった・・
変な感じがしたのは、凍傷で指を9本失くしたあたり
凍傷になった栗城くんをみて、本当はそう考えてはいけないのですが、もう無理はしないだろうと少し安堵(あんど)してしまいました
その後のエベレスト再チャレンジ
覚悟はしていましたが、やはり・・
残念です
自分のような一般人からみると、服部さんや宮城さんなどは、スーパー過ぎて、あまり参考になりません
どちらかというと、ショーアップの要素が多いかもしれませんが、それでも栗城くんのほうが、自分にとって身近な印象をうけます
普通の人には、普通の人なりの偶像(アイドル)が必要で、それが「栗城くん」をつくったのだと思います
今後、栗城くんの周囲は大変になるかと思いますが、登山界はかわらず続くと思います
「栗城史多さん」のご冥福をお祈り申し上げます
※追伸
▼日経ビジネスで栗城くんの記事をみつけました
いろいろ言われていた栗城くんですが、こういうことも真実のひとつだと思います
特に父「敏雄さん」の言葉は胸にささりました
敏雄が栗城の人生に大きく影響を与えた出来事はもう1つある。大学3年でマッキンリーへ登ろうと計画した時、栗城は海外に行くこと自体が初めてだった。
周囲に賛成する人は誰もおらず、知り合いという知り合いに翻意を促された。
「父も『息子を死なせに行くのか』って、いろんな人に怒られていたみたい」と栗城は明かす。敏雄も「聞いた時はバカヤロー、と思った」というが、反対はしなかった。敏雄に言わせれば「息子はもう20歳を過ぎた大人」だった。
そして出発の日、空港にいる栗城の携帯電話を鳴らし「おまえを信じている」と伝えた。出典:日経ビジネス
最後の、みんなからいろいろ言われ続けていた無謀な登山の時も、敏雄さんはこう言って送ったのだと思います
信じていたんだと思います
以上です
▼栗城くんの良いとこ悪いとこが書いてある本です
この本は河野さんという栗城くんのドキュメンタリーを目指したライターの本です
あくまで中立を保つようなスタンスで接しているので、友だち未満 という感じの書き方です
河野さんの主観のような文もありますが、栗城くんがどのように苦しんでどのように楽しんでいたかがわかる本
ちょっと高いですが、見てもらうと良いと思います
服部さんが「栗城さんは登山家ではない」と言っていました。
では、登山家とはなんなのか。その定義はなんなのか。
登山家の定義について調べていたらここを見つけました。
デスゾーンは読みましたが、あれは栗城さんのドキュメントというよりも、テレビマンである著者たちが栗城さんを死に追いやってしまったという反省文のような内容だったなと感じました。
栗城さんについては登山家の一人ではあると思っていますが、まだ腑に落ちたアンサーを自分の中に見つけておりません。
コメントありがとうございます
ボクも栗城くんは登山家だと思いますが、突き詰めるとそうではないような・・・
難しい問題と思う反面、あまり難しく考えなくてもいいのでは? とも思うようになることもあります
ボクの好きな栗城くんはそのままの栗城くんなので
時間が経ってのコメント失礼いたします。
栗城くんを悪く言う人が多い中、中立的な記事にホッとしました。
私は特に栗城くんに対して感情は無いのですが、動画を使って登山の様子やおもしろさを他者と共有する、という姿勢は、ユーチューバー全盛の昨今から見れば大変先見の明があった方だと思っています。
登山を「選ばれし者が孤独と戦いながら山頂を制するもの」と祭り上げ、先鋭的な登山スタイルを「正統」だとする方向性は間違っていると思っています。本来、アルピニズムとはそういうものではないはずですし、アルピニズムを目指す人こそ真のアルピニストだと思うわけです。
(※)アルピニズムまたはアルピニスム(英 : alpinism、仏 : alpinisme)は、狩猟や信仰目的ではない、山に登ることそのものを目的とする遊びやスポーツとしての登山を言う。ーーWikipediaより)
そう考えると、多くの人と登山の楽しさを共有しようとする栗城くんや野口さんこそが(仏教でいえば個人救済におわらず衆生救済を掲げて発展した大乗仏教のような)真のアルピニストであり、人が普通しない・できないことを追及する選民思想的な姿勢はアルピニズムとはほど遠い概念だということになります。どうも日本人はスポーツを大衆の娯楽から遠ざけ、「選ばれしアスリートがより高みを目指してストイックに技術体力を磨いていく修行」にしたがる。おかげで学校の部活動ごときでもハードなしごきが行われたり、死者が出たりするわけです。
まあだからこそ、栗城くんのように準備不足のエベレスト単独無酸素という挑戦は、許されるべきことでは無かったわけですが。
コメント感謝です。
栗城くんは栗城くんなりにとにかく全開だったのだと思います。良いも悪いも別にして。
最近、アルピニズムとは生活のために山に登ることではなく「遊びのために登ること」じゃないかなと思うようになりました。
栗城くんはそんな遊びの楽しさを多くの人にアピールしてくれたんだなと思っています。